【映画 ネタバレなしの感想】『エレファント・マン』(1980)

目次

作品情報

作品名エレファント・マン
原題The Elephant Man
公開日1980年
上映時間124分
監督デヴィッド・リンチ
主演アンソニー・ホプキンス

キャスト

あらすじ

 舞台は19世紀のロンドン。生まれつきの奇形のため、稀に見る外見をしていた男ジョン・メリック(通称エレファント・マン)は見世物小屋で、大衆の目を楽しませていた。そんな時、彼の噂を聞きつけた外科医フレデリックがやって来て・・。

感想

インパクト大

 モノクロ映画って事もあるけど・・。

 エレファント・マンの初回登場シーンは、インパクト大。

 あとですね、結構じらしてからの登場だったので・・。

 ”うお~やっとか!!”って感じで、一瞬で目に焼き付いてしまいましたよ。

友情

 エレファント・マンを、ジョン・メリックという一人の人間として扱ってくれた医師、フレデリック。

 彼らの関係は、ほんと涙涙の展開だった(+_+)。

 特にね、ジョンが自の殻をやぶり、積極的に話すようになっていく流れ・・・。。

 これは、マジで胸アツ( ;∀;)。

 やっと、やっと心開いてくれたか!!って感じで、もう感無量でしたねw。

葛藤

 ジョン・メリックの噂が広まるにつれ、ある悩みに苛まれ始めるフレデリック。

 それは、”今、自分がやっている事は、果たしてジョンのためなのか?”という事なのだが・・。

 これ、この描写。ゾクっとしましたよ。

まとめ

 人間の醜い部分も、しっかり描いたこの作品。

 とても奥が深く、”う~ん”と思わず考え込んでしまいましたよ・・。

 ただ、ジョン・メリックのピュアな心に、全部持ってかれたな~(#^^#)。

 デヴィッド・リンチ監督作品にして、分かりやすかったな~w。

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コメント

コメント一覧 (4件)

  • この映画「エレファント・マン」を初めて観た時、奇形の人間が主人公の映画だとの前情報で、観るのをどうしようかと、ちょっとためらった思い出があります。

    奇形、業病—-シチュエーションの異常さで見せる映画が元々嫌いで、不幸な人々を、ある種の見世物にして満足するような映画があまりにも多いから。

    けれども、この映画はそういう”イージーな感動”を当てにした映画ではなかったのです。
    頭巾を脱いだエレファント・マンを画面に登場させる時に、敢えてアップで撮らずに、遠景にした、そういうところにも、素材の異常さに頼っていない映画だということがわかって、好感が持てたのです。

    世にも稀な奇形に生まれつき、「エレファント・マン」と呼ばれ、見世物にされていたジョン・メリック。彼は19世紀末のイギリスに実在した人物だと言われています。

    見世物の口上では、奇形の原因は、母親が象に踏み倒されたためという(だが、本当のところは全くの原因不明なのだが)。

    この映画の冒頭は、そのイメージ・シーン。美しい女の顔のアップ。唸り声をあげて襲いかかる象の群れ。
    戦慄を覚える、非常に怖いシーンだ。

    19世紀末のロンドンの陰鬱な暗い街並み。
    モノクロの画面はアンチック・カードのような暗い美しさに満ちている。
    そして、見世物小屋から小びと、シャム双生児、巨人などのフリークに助けられて逃亡するシーンも、幻想的な美しさに満ちている。

    産業革命当時の、鉄と火とじゅうじゅうと煮えたぎる水。
    これが冒頭の象のシーンとなぜか一つになって、荒々しい”恐怖イメージ”となって、観ている私の胸に迫ってくるのだ。
    私にとっては、これはエレファント・マンの醜い肉体よりも、もっと深い恐ろしさだった。

    そして、エレファント・マンが、目前に現われた時の、様々な人々の様々な反応。
    恐怖の叫び声をあげる看護婦。好奇心をむきだしにする夜警や子供たち。
    ひとすじの涙を流す外科医。

    それは、全て私たちの心の内側にある反応である。
    私たちは天使でも悪魔でもない。あるいは、天使でも悪魔でもある。
    野卑な好奇心も、他人の不幸を思いやる想像力も持っているのだ。
    そういう意味で、登場人物が善玉悪玉に色分けされすぎていることには、かなり不満が残ってしまった。

    エレファント・マンの不幸は、彼が醜い肉体に生まれついたことと共に、インテリジェンスを持っていたことだと思う。
    自分と、世間とを映し出すインテリジェンスという”鏡”を持っていたことだと思うのです。

    見世物であるためには、あまりにもインテリジェントでありすぎた。
    それは、見世物にも人間にもなりきれないという不幸を、背負っていたのかも知れません。

    そして、エレファント・マンは、やっと人間扱いされた時に、初めて自らの意志で死を選ぶのです。
    それは私には、ある種、”甘美な死”に感じられた。

    彼は命をかけて叫んだのだ。「私は、お化けではない。人間なのだ」と。
    この、人間であるということは、彼にとっては”見果てぬ夢”だったのだ。

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