【映画 ネタバレなしの感想】『八つ墓村』(1977)

目次

作品情報

作品名八つ墓村
公開日1977年
上映時間151分
監督野村芳太郎
主演萩原健一

キャスト

あらすじ

 主人公の寺田は、首都圏の空港で航空機誘導員をしていた。そんなある日、新聞の尋ね人欄に自分の名前がある事を知り・・。

感想

 どうも、こんにちは~😊。

 今回は、「八つ墓村」を紹介していきますね~w。

 この映画は、バックボーン。

 裏に隠された、意外で因縁を感じる繋がり。

 これがね、徐々に徐々に明らかになっていくのが、マジで面白い(#^^#)。

 いや~これ考えた原作者。ほんと、天才ですよね( ゚Д゚)。

 血塗られた歴史を持つ村を舞台に、血も凍る惨劇を描いたこの作品。

 サスペンス・ミステリー好きは、是非みてみてください😍。

金田一探偵の活躍は、ラストのみですw。

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コメント

コメント一覧 (2件)

  • 野村芳太郎監督の松竹映画「八つ墓村」は、さすがに今の目で観ると、それほど怖くはありませんね。

    有名な落武者の虐殺シーンは、特撮が古いので、首が飛んだり、手がちぎれたりと派手ではあるけれども、ケバケバしくチープな印象です。

    それから、これも有名な、山崎努が猟銃と日本刀を持って、頭に懐中電灯を二本差して、村人を殺して回る場面は、確かに怖いが、ホラー的な怖さではなく凄絶と言うべきだろう。

    あの二本の懐中電灯は、やはり「鬼」の角に擬してあるのだろう。
    桜吹雪の中を走って、人間を殺しに来る鬼。恐ろしくも美しい場面です。

    しかし、唯一背中が総毛立つような怖さを感じたのは、終盤の、あの鍾乳洞の中を、主人公が延々追いかけられるシーンですね。
    暗い、どこまでも続く鍾乳洞の中を、すすり泣くような、あるいは、忍び笑うような声を漏らしながら、どこまでも、どこまでも追いかけてくる鬼女。

    これは怖かったですね。楳図かずおのホラー漫画の原型的シチュエーションの一つのような気がします。
    メークは、やはり安っぽいのだが、あの状況そのものに悪夢的な怖さがありますね。

    子供の頃に、もしこの場面を観たとしたら、やっぱりトラウマになるだろう。
    あの場面は、いっそメークを変えないで、例えば金目にするだけぐらいで良かったと思う。
    その方が、余計に怖い場面になっただろう。

    この映画の話題は色々あるのだが、金田一耕助を渥美清が演じていることもその一つ。
    横溝正史原作での金田一=石坂浩二というイメージが定着しているうえに、渥美清は「寅さん」のイメージが強過ぎるので、抵抗を感じる人が多いだろう。

    私は寅さん映画の大ファンなのでどうかなと思ったが、別にそれほど違和感はありませんでしたね。
    石坂浩二ほどの華はないが、実直でホッとできる金田一という感じでしたね。
    なんでも、横溝正史によれば、この渥美清の金田一が、実は一番原作者のイメージに近いということだ。

    この映画のミステリとしての構造に目を向けると、原作との最大の違いにして、最も論議を呼ぶポイントは、はっきりしていますね。
    あくまで、ミステリ小説の範疇内で勝負した原作小説を映画化するにあたって、脚本の橋本忍と野村芳太郎監督は、これを本物の祟りの物語にしてしまいましたね。

    この映画は、もはやミステリではなくホラーというか、ミステリの衣をまとった怪談話になりましたね。
    従って、原作の緻密な謎解き部分は、全く骨抜きにされてしまっています。

    映画の終盤での金田一の謎解きは、謎解きの名に値しませんね。
    ほぼ独断で、犯人を指摘し、あとは犯人の出自に人々の注意を促し、この事件の超自然的な側面を強調するのみですからね。
    当然、この部分は原作にはありません。

    従って、この映画がミステリ・ファンに評判が悪いのは、当然と言えば当然なのだと思う。
    金田一耕助が出てくるとはいえ、これはミステリではなく怪談話なんですね。

    一方で、怪談風の奇譚として見れば、それなりに楽しめると思う。
    確かにチープな特撮による、グロテスクな演出や鍾乳洞の場面がやたら長いなど、ゆるい部分は多々あります。

    だが、寡黙でシャイな主人公を演じる萩原健一が、それでも放つ華、それから豪華な女優陣、つまり小川真由美、山本陽子、中野良子らの艶やかな競演は見ものです。

    それから、山崎努の「鬼」の凄絶な存在感は言うまでもありません。
    だが、極端な言い方をすれば、桜吹雪の中をやって来る山崎努の「鬼」と、鍾乳洞の中を亡霊のように走る「鬼女」のインパクト、この二つが、ほぼ全ての映画なのだ。

    反面、それだけで十分といえば十分だ。
    この映画のケバケバしい装飾部分を、どんどん取り除いていけば、その核には、極めて日本的な、”血や縁や怨念”と切り離せない原型的な恐怖が存在します。

    この恐怖の感覚は、日本人にとって、どこか懐かしいもののような気すらしてくるんですね。

    • コメントありがとうございます。
      祟りとか呪いを極端に嫌う日本人には、かなり”怖い”作品ですよね( ;∀;)。

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